今月のファンダメンタルズ vol.4

月刊仮想通貨vol.5 2018年6月23日発売号より

一獲千金を果たした若者の物語

2017年後半から仮想通貨相場が爆発し、世界のマスコミを大いににぎわす事態となって今日に至っている。
そもそも仮想通貨が一般人の手に入るようになるには、情報革命と云われるインタ―ネットの普及が大いにその役割を果たしたことは疑う余地がない。
現在仮想通貨の種類は千種類を超えると言われるが、成功するには、各地にあるゲイトウェイ(取引所)に上場を果たすべく、個性ある魅力と共に万全なセキュリティが確保されていなければならない。
ほとんどの仮想通貨の発祥はICOの形態からスタートし、勝手に名づけた仮想通貨に換えられるトークンを購入することから始まる。
この段階では、詐欺なのか本物なのか判定は極めて困難である。
全て結果からでしか判定できない。
どんな高邁な目的を掲げても上場できなければ失敗(詐欺)となってしまう。
ICOはこれから法の目を掻い潜って次々出現することが予想されるが、一般に1%の確率でこれからも誰でも仮想長者に成れるチャンスはあるのだ。
前号で失敗例を出したが、今回は成功例を紹介したい。
本年2月末に地方の中堅企業の経理部担当の執行役員の友人のところに、中途採用3年目の独身社員A君が神妙な顔をして「3月一杯で退職させていただきます」と突然の申し出があった。
平穏に経理の業務に従事しているかに見えた若手社員の思いつめた様子に驚き、別室で話を聞いたところ「実は仮想通貨への投資に成功し、3億円ほど利益を上げたので、これを機に新たな人生を歩みたいと決意した」との事。
友人は、その意外な理由に唖然としたが、そのとてつもない事実に抗するすべはなく、彼の退職を受け入れざるを得なかった。
この若手社員は、三年前に中途入社した人物で、東京の六大学の経済学部を2009年に卒業したものの当時はリーマンショックの翌年で就職氷河期にあたり、なかなか就職が決まらず、やむをえず東京の食品関係の小企業に入社した。
もともと対人関係が苦手で無口だったにもかかわらず、営業部に配属され、これも人生の修行の一つだと8年頑張ったが、さほど成果を上げられず、退職を決意した。
そして、郷里の中国地方の町に戻り、その頃から景気がやや回復した運もあって、自分に合っていると思われた地元企業の経理の職に応募し、運よくその会社に入社したという経歴だった。
彼が仮想通貨に興味を持ったのが、小学校時代からの友人が仮想通貨の研究に熱心で勧められたからだそうだ。
彼が初めて投資したのはまだどこの取引所にも上場していなかったADA(エイダコイン)だった。
ADAコインに注目した理由は、イーサリアムなどを開発した天才数学者と云われたチャールス・ホスキンソンが創案し、彼のYOUTUBEのプレゼンに感動したことと、友人の鋭い勘を信じた事が決め手となった。
ADAは当時詐欺コインではないかとの噂も立ったが、めげずに投資を決意したのは2016年8月の第三期のプレセールの時で、エイダコインを一コイン約30銭で貯金2百万円分を全額投資。
1年2ヶ月ジーと我慢を重ねた結果、2017年11月30日にADAは海外取引所老舗のBinance(バイナンス)に上場を果たし、まずは安どのため息が出たそうだ。
さらに2017年11月26日、大手仮想通貨取引所であるBittrex(ビトレックス)にもADAコインが上場し、ADAコインはプレセールの最高値で約45倍に高騰し、さらに暴騰を続けた同年12月末にすべて売却。
夢の3億円を手に入れたそうだ。
教訓として既存の仮想通貨、新ICO投資にはまだまだチャンスがある事を信じよう。
A君は現在無職で取りあえず当面の小遣いのため前出の元上司のアドバイスで毎月配当の新興国債を3千万円購入し、1億5千万円で年利回り5%のアパートを物色中。
ほとぼりが冷めたら再度暗号通貨に挑戦するそうだ。
めでたし、めでたし。
人の行く裏に道あり花の山

Profile
板垣 哲史
国際金融コンサルタント。
イタリア商業銀行東京支店、シティバンク、エヌ・エイ東京支店のFXインターバンク・チーフ・ディーラー、資金部長歴任後、シティコープ・フューチャーズ在日代表を経て、1995年2月、(株)トーマス・モア・コンサルティング社を設立。

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